SSブログ

「鳥、鳥たち」

風景を眺めていると、動くものと言えば、鳥です。鳥を見つけると、私はつい、「あ、鳥だ、、、」と呟いてしまいます。枯枝を揺らす孤独な鳥、川面を蹴散らす、勢いのある鳥、、、鳥、一羽で風景は随分変わります。また、夕焼け空を渡っていく鳥たち、鎮守の森の上で群れ騒ぐ鳥たち、、、集団の鳥は、不思議に過去を甦らせます。記憶の中で、鳥や鳥たちは、その時の風景と、どうしようもない私の心とを結びつけ、ある解放をもたらしてくれました。

2011年の個展で発表した「処理工場の夕暮れ」(2010)や「V字鉄塔のある惑星(2009~2011、1月)にも鳥は居ます。2009〜2010年、私はこのシリーズを描きながら、これらを受け入れ難いと思う人がたぶん居るだろう、と予想していました。原子力発電所も高電圧の鉄塔も、それまでの美術にあまり登場しなかったものでした。

私はこの二つを「人間の文明が産み出してしまったもので、既に存在する以上、そこから出発せざるを得ないもの」として、あえて描くことにしました。今、私たちが直面している状況とは、「できれば見たくないもの」に、自分たちが既に組み込まれてしまっていたり、「見ないふりをしてきたもの」に対面せざるをえない状況ではないか、と思ったのです。状況そのものを描くというよりも、その状況における人の心を描きたかった。そこで人はどんなことを思うのか、どんな言葉を発するのか、「あ、鳥だ、、、」と呟いて立ち尽くす人──その心の奥にあるものが出たらいいな、と、それだけを思っていました。現実を抽象化した象徴的な作品のはずでした。

2011年3月、震災に伴って福島の原子力発電所の事故が起こり、この二つのシリーズは、それ以前とまったく違う、とても具体的な空気を持ち始めました。完成したとたん、作品は作家の手を離れて、独自に歩き始める、というのは本当です。

いつか、長い時を経て、「現在」が、すっかり「過去」になった時、私はこの二つのシリーズの前に立ってみたい。これらが私の手を離れて、結局はどこへ歩いていったのか、確かめてみたいのです。
nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。