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「御礼」

長く寒い冬がようやく終わったのに、梅が散り桜もどんどん咲いて、春は大急ぎで過ぎていきます。「二年後。自然と芸術、そしてレクイエム」展が3月20日に終りました。
遠いところを水戸までお出かけ下さいました皆さま、まことにありがとうございました。
美術館初体験で、色んなことを学びました。中でも50m 離れて見た「千の種族」のことは忘れられません。
今はまた来年の個展のための作品に入っています。登り坂が険しくなってきたことをひしひしと感じております。近くなりましたらご案内させていただきますので、またご覧いただけば幸せです。                                    井上 直
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「展覧会のお知らせ」と「ブログ終了のご挨拶」

「二年後。自然と芸術、そしてレクイエム」展

平成25年2月5日(火)〜3月20日(水・祝)

茨城県近代美術館
〒310-0851 茨城県水戸市千波町666-1
tel. 029-243-5111 fax. 029-243-9992

http://www.modernart.museum.ibk.ed.jp/index.html

上記の展覧会に参加します。丁度、偕楽園で梅の花が咲く頃です。
時期が近くなりましたら、企画展にアップロードされる予定です。

「ブログ終了のご挨拶」

思うところあって、月一度のペースで続けてきましたブログを、今回で区切りとさせていただきます。ヒポカンパス詩画展をきっかけに始めたブログでしたが、いつの間にか約8年になりました。長い間お読みいただき、まことにありがとうございました。

最後に、二つの大戦で破壊されたのは「言葉と想像力」だという認識を持って書かれた詩で、「これからの美術」を考える上で無限に私を励ましてくれる有名な詩を、、、

      帰 途               田村 隆一

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか

あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ

あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう

あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる
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「それも描くうちなのか?」

まだ30代前半、子供たちは幼く、描く時間を見つけることが大変で、夜中から明け方まで描いたりして無茶をやっていた。当時、ある大先輩に対して、つい甘えが出たんだと思う。「両立が大変なんだ、、、」と、こぼしたことがある。その方が、思いやりを込めておっしゃった一言、「それも描くうちだよ。」が、私を変えることになった。

体調悪く、気力がないこと、アトリエが狭く、収納場所がないこと、絵にかかる費用が増えて、大変なこと、反抗期の子供の心が分からなくなってしまったこと、、、様々な苦しいことがある度に、私は自分に言い聞かせた、、、これも描くうち、と。

当時、私は分かっていなかった。「描くうち」の中には、「描く時間を作る」以外にも様々なことが含まれる、ということが、、、 他の仕事をしながら、心はいつも画面に向っていること──確かにそれも大事だが、画面に向った時から何かが始まり、それは頭で考えたこととは違うのも確かである。そして、いい展覧会を見たり、いい音楽を聞いたり、映画に行ったり、本を読んだりして、触発されたり、打ちのめされたりしながら、自分の原点を見つめ直して鍛えていく──それこそ立派な「描くうち」で、時間はいくらでも必要なのである。

「絵を描く」という仕事が大変なのは、結果として報酬が得られれば幸運だが、もともとお金とは切り離された仕事だからだ。なぜなら、それは「直接、目に見えないものの価値」を人に与えるものだから、、、

ところが日本の社会全体が「目に見えないもの」をどんなに冷遇してきたことだろう?大学の教養課程、基礎科学、哲学、文学、芸術、、、どれもすぐ役立つものではないが、人間とは?という根本的な問いに対して、実はとても大切なものが、どんどん痩せ細っていく。人々の心に「目に見えないもの」を感じとる経験が不足し、「夢を見る力」がなくなっていく。

年を重ねた人なら分かるだろう。「目に見えないもの」は、それぞれ個別に、苦労して、やっと得られたはずだ。しかし、「目に見えるもの」は、すぐに理解され、一度に多くの人の賛同を得られる。同じ情報、同じ思考、そして皆と同じであることに安心する。どんどん均質になっていく社会で、「目に見えないもの」はこれからどうなっていくのだろう?「目に見えるもの」しか受けつけない社会になってしまったら、、、

私自身は、賛同を得られても、得られなくても、とにかく描き続けていくだろう。しかし、これから描いて、生活していかなければならない若い人達のことを思うと、私が昔、言われた言葉、「それも描くうち」を投げかけるには、あまりにも苛酷な状況になっている。
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「屋上の風景」

元々「閉所恐怖症」に「高所恐怖症」、それにオーウェルの「1984年」で「ネズミ恐怖症」も加わった。いい画廊だと分かっていても、地下だと、なるべく早く外に出たい。映画「ベン」などは、うなされるから二度と見ない。しかし、3つのうちで「高所恐怖症」だけは改善しつつある。

今度の家には屋上があるが、階段を作ることができなかったので、そこからの風景を見るためには梯子を登らなければならない。本当は怖いので、昔、鉄塔に登っていた人の注意を思い出す。「落ちたら怖い、と思うでしょう?逆に考えるんだ、、、今、こことここを持っているから、落ちる筈はない、、、そう思いながら登っていくんだ。」なるほど、と思い、大丈夫、大丈夫、、、と自分に言い聞かせながら、登り降りしている。私の年齢を考えると、無謀と言われても仕方ない。

しかし、屋上の風景は、ほぼ360度の視界、開放感が違う。西の空の夕焼け雲は、描きたいなあ、と思う日もあれば、信じられない形になり、ウサギだ!あっ、クマになった、、、という日もある。本当だってば、と言ったって、信じてもらえそうもない。リアリティーって何?という気持になる。

頭上には月。いつも凛としており、画面に欲しいのは、この空気だよ、、、と思う。夜の空は案外明るくて、雲がどんどん流れていく日もあれば、一面の鰯雲が動かない日もある。1光年の星の光は1年前の光だとすると、私は今、30億年前、50億年前の光を見ているわけで、自分に残された時間はいくらもないな、と分かる。

30年居た街から広いアトリエを求めて越してきた。絵を描くだけの私とは違い、遠くに見える窓の明かりには、それぞれ、家族の暮らしがあるのだろう。駅から遠くて不便だと思っていたが、上から見ると、緑の多い、自然に囲まれた場所だ。東の空に沢山の鉄塔が立っている。自然の一部でもなく、人間の一部とも言えず、あれらは一体何なんだろう?

これまでのこと、これからのこと、寝ころがって、時々はビールを飲んで、ボーッと考える。
こうして屋上に登り、日常の外に出ることが、いつの間にか、私の生活に不可欠なものになりつつある。
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「日陰の植物」

築30年以上の古家を建替える時、そこにあった樹木をなるべく切らないようにした結果、楓や梅、柿などが枝を広げることになり、日陰を好む植物ばかりが増えた。

おだまき : 麻の糸玉からついた名前の山野草。ハート型の葉が3つ寄せ集ま       り、ピンクや紫、チョコレート色もある。
ぎぼうし : 葉に縁取りのあるもの、ないものがあり、葉だけでも美しいが、       初夏から夏にはするすると花芽が伸び、うすい藤色の花が咲く。
蛍袋   : カンパニュラ(小さな鐘)とも言う。初夏に釣り鐘状の花が下向       きに咲く。蛍を閉じ込めてみたい気もする。
おきなぐさ: 日本古来の花。三橋節子さん「湖の伝説」で知った。葉や茎、実       が白粉をふいているようで、「翁」の名にふさわしい。
ほととぎす: 赤味を帯びた古代紫の花。斑点があり、形が鳥のほととぎすに似       ていることで名付けられたそうだ。典型的な秋の花。
水引   : 群生する。以前、この花についてブログに書いたことがある。前       の家から持ってきた。
かたくり : ハート型の葉がつらなり、春、下向きに可憐な花をつける。我が       家のは白いがピンクもある。
襲名菊  : 「秋明菊」とも書き、秋まっさかりに咲く華やかな花。私は一重       の白が好きだが、ピンクも八重もある。はらはらと見事な散り方       をする。
吾亦紅  : すすきの横にはやはり吾亦紅だ。花は新鮮なものほど先が紫を帯       びているが、古くなるに従って焦茶一色になる。 秋、籠にすす       き、吾亦紅、りんどうを生ける幸せ!
つわぶき : ぶ厚い葉が「私の高さはここ」とばかり地面近くを被う。黄色い       骨太の花をつける。
蕗    : これも地面近くを被うが、もっと薄い葉。雨が降ると雨粒が転が       る。春先のフキノトウが楽しみ。

一般に、植物には日光が必要、と考えられているが、そうとばかりは言えなくて、これらの植物は、朝の光、あるいは夕方の光だけで充分だ。あまり日が当たると枯れてしまう。光を浴びて元気で咲いていく花もあれば、あまり光が当たらない方がいい花もある──ということを覚えておきたい。我が家の繊細な花たちは、それぞれ、自分にふさわしい場所で、毎年静かに咲いて、散っていく。
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「新聞の切り抜き」

「アナログ人間」と言われそうだが、ふとしたことで始めた「新聞の切り抜き」をもう40年以上続けている。これは何かある、と思った記事に日付をつけ、切り抜いたものを箱にためておく。一杯になると、スクラップブックに貼る。それだけのことだ。一つ一つの記事をスキャニングし、テーマごとに分類し、必要に応じて取り出せるところまでなさる方もいらっしゃるらしいが、そんな面倒なことはできない。私の方法は、大体同じ時期のものを順番もなく、貼るだけ──形も大きさもバラバラなので、空いた場所には、小さなコラムや俳句、海や山、空や街の写真などを貼る。

10年も経った古いスクラップブックをめくると、何もかもすっかり忘れているのだが、自分のアンテナを通ったものだから、読み直すと面白い。それが私の絵に、直接、影響を及ぼすとは思えないが、ふと湧いてくるイメージが、ただの思いつきか、作品として自立しうるだけの強度を備えているのか、判断する際、役に立っているような気がして続けている。

それに、どうも元気が出ないと思う時、私はまず熱いお茶を入れて、古いスクラップブックをめくりながら、小さなコラムに感心したり、笑ったり、既に亡くなられた方を偲んだりしてひと時を過ごす。そのうちに自分が生きてきた時間が少しいとおしくなって、いつの間にか元気が出ていることに気づく。「こんなことではいけない!」と怒っている時もある。怒ると、それはそれでエネルギーが出ている。

最近、若い人で新聞をとらない人が増えているそうだが、何だかもったいない。日々の記事は、そのままでは、ただの情報だが、自分のアンテナに引っかかったものは、もう、ただの情報ではない。
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「好きな作品」

様々な作品が好きで、そこに共通点を見つけることは難しいのだが、あえて言えば、皆、どこかシンプルでストレートだ。画面が複雑であればある程、卓越した技術や手法を見せることができるわけだが、好きだなあ、、、と思う作品は、見たとたん衝撃を受け、よく見れば、それがしっかりした技術や手法に支えられていると気づく、、、しかし今は、この最初の印象に浸っていたい、、、そう思わせるものだ。

思いつくまま挙げてみる、、、アッシリアのライオン、エジプトの書記座像、カタロニアのイコン、ファン・デル・ウェイデンの「アヴィニオンのピエタ」、P. プリューゲルの「雪の中の狩人」、セザンヌの「カード遊びの男たち」、モディリアーニの「横たわる裸婦」、ゴッホの「夜のカフェテラス」、ルソーの「蛇使いの女」、シーレのデッサン、ベン・シャーンの麦や人、アバカノヴィチの背中、ブランクーシの「鳥」、ジャコメッティーの歩く人や立つ人、キーファーの「革命の女たち」、、、これらが共通して持つシンプルでストレートな印象に私はあこがれる。

作品に最初のイメージをもたらすものは「想像力」や「感性」だろう。しかし、その後かれらはどうしたんだろう?最初のイメージを洗い直して、全ての人に届くような普遍性のあるものにする過程があったはずだ。「自己陶酔」も必要だろうが、「自己批判」も必要だったろう。そして、かれらの主観が客観を通り抜け、最初の印象を残したまま、できうる限りの検証を終えて、作品は出来上がったのだろう。

そう考えると、人間って、やはりすごい!
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「さくらクレパス」

夕焼け空を描きながら「さくらクレパス」のことを思い出した。戦後間もない頃、幼児の私に初めて与えられた「さくらクレパス」12色のことである。新しい箱を開け、きれいに並んだ、まっさらなクレパスに出会う──あの幸福感はたとえようもない。日本中に「もの」がなかった時代で、クレパスは貴重なものだった。

12色というのは、1. 白、2. 黄、3. 黄緑、4. 緑、5. 茶色、6. 水色、7. 青、8. もも色、9. 赤、10. 肌色、11. 灰色、12. 黒、である。幼児が初めて出会う色としては、少し原色が多すぎるようにも思うが、この組み合わせを選んだのには、それなりの理由があるのだろう。幼児期、私はこれで花や動物、人や家を描いたはずだが、覚えていない。

私の記憶にはっきりと残っているのは、小学校1年生の時買ってもらった「さくらクレパス」24色で、いきなり増えた12色は、1. レモン色、2. みかん色、3. だいだい、4. 黄土色、5. 焦茶、6. 朱色、7. ふじ色、8. 紫、9. 深緑、10. ぐんじょう色、11. あいいろ、12. くちば色、である。これは、絵の好きな1年生には、世界が何倍にも広がるような事件だった。紫色と黄土色、、、焦茶とふじ色の組み合わせもいいなあ、、、ぐんじょう色とくちば色、、、なんて大人!クレパスは私の格好の遊び相手になった。

もったいないので大事にしつつも、使うと減る。紙を剥いて、さらに使い込んで、1cm 未満になり、最後は指先で練り潰すようにしてなくなる。しかし、当時、街の文房具店にも、学校の購買部にも、バラ売りはまだ基本の12色だけで、「くちば色」なんてなかった。

私は何とか残りのクレパスで「くちば色」を作ろうとした。黄緑に少し焦茶を混ぜてみる。濃すぎるので白を加える。そのうちに、これだよ!と作り出せた時はうれしかった。おまけに、少し黄色を加え過ぎたり、少し緑を加え過ぎたりすると、様々な「くちば色のヴァリエーション」が出来て、集めるときれいだった。

それ以来、私にとって色を混ぜることは日常的な習慣になった。私の爪は、入り込んだクレパスのせいで、いつも汚かったし、ブラウスもスカートもあちこち汚れていたが、気にならなかった。三原色と白があれば、全ての色が再現できることを知って、充分満足だった。

その時の体験があるからだろう。夕焼け空に様々な色を塗っているだけで、子供の頃の自分がもどってくる。
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「千の種族」

今年1月からずっと「千の種族 A・B」をキャンバスでやり直しています。2001 年に描いた作品ですが、レイヤーを重ねるうちに支持体の和紙が保たなくて、皺が出てしまいました。この二つは私にとってストライク・ゾーンにある作品で、どうしてもやり直しておきたかったのです。

しかし、加筆ということではなく、最初からもう一度、ということがどんなに困難なことか、思い知らされました。元のよりよくならなければ、やり直す意味がないからです。3月までは全然駄目、、、アトリエに入るのが苦痛になりかけていました。4月に入ってからはもう必死で、ようやくストライク・ゾーンに収まってきたところです。

今、余力がないので、約5年前2007 年に鈴木ユリイカさん編集「Something 5」に書いた「千の種族」についての拙文を転載します。

「千の種族」 1996~7 年にかけての記憶をたどると、スピードのあるサイバーアートの映像を見ているような気持になる。25 年連れ添った夫に癌が見つかり、1年後に他界するまで、納得もできないまま、ただ流された。 内に子供の未熟さが残る私にとって、彼は夫であると共に、半ば父親のような存在でもあったから、フワフワと身体が頼りなかった。頑固者で葬儀を断り、ホスピスから「最期の挨拶文」を郵送して逝ってしまった。 残された私は、晴れている限り毎日多摩川に出かけた。ただ夕暮れを見て帰ってくる。それで何とか日々をやり過ごした。 陽が沈むと岸辺が燃え、地面に熱が残る。鳥たちがすばやく飛び去り、人影が屹立する。 その時の風景が「千の種族」になった。「25 時のアリア」と共に、この時期を経てようやく私は、未熟でも何でも、自分の心を直接表現する回路を得たように思う。 「表現とは作品の泣き顔のことなのだ。」と言ったのはアドルノだが、私の作品も状況のせいで、幾分かは泣き顔に近づいたのかもしれない。 あれから10 年、夫は何をしたかったのか、私と居て幸福だったのか、ホスピスという私達の選択は正しかったのか、終りのない問いかけが続く。 今、私は風景をより客観的な視点で捉えようとしていて、そのことに迷いはないのだが、時々、あの頃のような切実さを持っているか、と自問してみる。                    
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「鳥、鳥たち」

風景を眺めていると、動くものと言えば、鳥です。鳥を見つけると、私はつい、「あ、鳥だ、、、」と呟いてしまいます。枯枝を揺らす孤独な鳥、川面を蹴散らす、勢いのある鳥、、、鳥、一羽で風景は随分変わります。また、夕焼け空を渡っていく鳥たち、鎮守の森の上で群れ騒ぐ鳥たち、、、集団の鳥は、不思議に過去を甦らせます。記憶の中で、鳥や鳥たちは、その時の風景と、どうしようもない私の心とを結びつけ、ある解放をもたらしてくれました。

2011年の個展で発表した「処理工場の夕暮れ」(2010)や「V字鉄塔のある惑星(2009~2011、1月)にも鳥は居ます。2009〜2010年、私はこのシリーズを描きながら、これらを受け入れ難いと思う人がたぶん居るだろう、と予想していました。原子力発電所も高電圧の鉄塔も、それまでの美術にあまり登場しなかったものでした。

私はこの二つを「人間の文明が産み出してしまったもので、既に存在する以上、そこから出発せざるを得ないもの」として、あえて描くことにしました。今、私たちが直面している状況とは、「できれば見たくないもの」に、自分たちが既に組み込まれてしまっていたり、「見ないふりをしてきたもの」に対面せざるをえない状況ではないか、と思ったのです。状況そのものを描くというよりも、その状況における人の心を描きたかった。そこで人はどんなことを思うのか、どんな言葉を発するのか、「あ、鳥だ、、、」と呟いて立ち尽くす人──その心の奥にあるものが出たらいいな、と、それだけを思っていました。現実を抽象化した象徴的な作品のはずでした。

2011年3月、震災に伴って福島の原子力発電所の事故が起こり、この二つのシリーズは、それ以前とまったく違う、とても具体的な空気を持ち始めました。完成したとたん、作品は作家の手を離れて、独自に歩き始める、というのは本当です。

いつか、長い時を経て、「現在」が、すっかり「過去」になった時、私はこの二つのシリーズの前に立ってみたい。これらが私の手を離れて、結局はどこへ歩いていったのか、確かめてみたいのです。
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